何がどう違うのか。
まず子育てはそのまんまです。性別関係なく、我が子を育てていく事ですね。当たり前です。じゃあ、「娘育て」とは何か。
その前に、この2つの意味はわかりますか?
- 幼児は大変だけど、簡単。
- 子どもは大変じゃないけど、難しい。
何のこっちゃ?となると思いますが、子育てを経験した方なら納得できると思います。
まず、1.の幼児は大変だけど、簡単。
これは、0歳から5歳ぐらいまでは、差はあれど両親の影響のみを受けて生活しているので、世話自体は「大変」なんですけど、接している世界・世間が狭いために生き方を教えるのも一方的で大丈夫なので、「簡単」なんです。
次に、2.の子どもは大変じゃないけど、難しい。
これは、6歳から特に小学生にあがったあたりが顕著に変わってきます。身の回りの世話が大幅に減るので、世話は大変ではなくなります。
しかし、子ども達独特の「社会」に出ていくため、ここでの生き方を教えていくのが非常に難しいんです。社会の仕組みから世渡りまで、長い人生の入り口がだいたい1年生からなんですね。
保育園から小学校に進んだ長女は、入学当初はかなり戸惑っていました。
狭い保育園の社会から、色々な幼稚園・保育園から来た多くの新入生と馴染むのに苦労しています。2学期になってだいぶマシにはなってきましたが、日に日に悩みが増えているように見えます。
そこで、タイトルの娘(こ)育てについてです。
幼児時代は、性別って関係ないんですよね。そこの違いはあまり意識する事なく、接する事ができました。
しかし、小学生という社会に出ると、急に男女の意識が出てくるようです。また、女の子としての無意識の自覚が芽生えるようで、特にお父さんには細かい悩みを言い出さなくなってきます。何か寂しいのですが、もっと大きくなれば更に減っていくんだろうなと覚悟しています。寂しいですけど。
できる限り関わって話を聞いてあげたいのですが、無理やり聞き出しても仕方がないので、ヨメさんを経由して聞くようにするようにしました。
娘育てと子育ては、根本的に大きく違います。同じ視点で子育ての延長として取り組むと、必ず失敗すると思います。男の子は単純ですが、女の子の社会は複雑すぎて、お父さんではどうしようもない世界になってきます。ここは同性のヨメさんに任すしかないので、世のお父さんは幼児時代から夫婦で話し合っておく事をお勧めします。
最後に、我が家の子育てのモットーは「帰ってくる場所を提供してあげる」事です。
何があっても娘達の味方であることを常に伝えるようにして、どんなに辛い事があっても家に帰って来たら安心する空間にしてあげるようにしています。
悔しければ、悲しければ、家では思う存分泣けばいいです。その代わり、外では可能な限り我慢しなさいと。我慢するのも勉強です。ただ、家ではいくらでも放出していいんですよ。気のすむまで。
ここまで何かいいことばかり偉そうに書いて来ましたが、なかなか上手くはいっていません。それでも、最後に書いた安心できる環境は絶対に作ってあげるように心がけています。娘達にも、口をすっぱくして「お父さんとお母さんがついているから、何も心配しなくていい。」と言い続けています。
思春期に嫌われても、ここは崩すつもりはありません。
ではでは。